私には学校を休む・行かない選択肢がなかった話
学校を休みたい、行きたくないけれど…
- 親から休ませてもらえなかった
- 休んだら終わりだと思って無理して行っていた
- そもそも休む選択肢なんて頭になかった
という人はいませんか?
私は、体調が良くなくても、精神的に辛くても、学校を休む・行かないという選択ができませんでした。
両親は厳しくはなかったものの、明確な理由がなければ学校を休ませてくれなかったと記憶しています。
30代の社会人になった今でも、仕事を休むことに罪悪感や不満を感じている自分がいます。
この記事では、休むことに対して、恐怖感がある、立ち止まったら先はないと思っている人に向けて、私の考えをまとめました。
学校(仕事)を休む・行かないという選択
ほとんどの人が当たり前のように、毎日学校や会社に通っています。
私には、学校(会社)に「行くべき、休むべきではない」という強迫観念にも近い気持ちがあります。
小学生から社会人になるまで、体と心が休みたいと悲鳴を上げているときも無視をしてきました。
大多数が当たり前にしていることを「しない」選択をすることは、少数派になる恐怖と罪悪感に打ち勝つ勇気が必要です。
私は、少数派になって不安になるくらいなら、本心を無視し続けて皆と同じでいることの方がよかった。
休む・行かないが何故できない?
なぜ、休むことや行かないことに恐怖や罪悪感を感じるようになったのか、私の過去を辿ってみました。
休んだら誰も助けてはくれない
小学1年生のとき、風邪で数日休みました。
元気になって学校に行くと、算数の授業が全然わからない。ついていけない…。
全然わからないのに、たった1人の私のことなんて無視して進んでいく授業。
人生で初めて「止まったら誰も助けてくれない。置いて行かれる」という恐怖感を味わった経験でした。
先生や周りの人に聞きなさいよ!って話なのですが、あのとき感じた恐怖感は未だに心に残っています。
その影響もあり、どんなに嫌でも苦しくても、行き続ける選択をするようになりました。
すぐに休む人に不満を感じる
休むこと・行かないことを「いけないこと」だと思っているので、授業が嫌で休む友人や仕事で欠勤する人に強い怒りを感じるようになりました。
世間ではブラック企業が叩かれているのに、私自身がブラック思考になっていました。
「今日は行きたくないから休もう」とか「具合悪いから無理せず帰ろう」っていう自分の心を優先して実行できる人に嫉妬していたんです。
頑張るのをやめて休む・行かない選択をしてみた
転職した職場では、頻繁に欠勤する人、始業時間に来れない人が前職に比べて多いこと!
でも、仕事はなんだかんだ回ってる。
「あれ、私も休んでみてもいいのかも。」と思えるようになりました。
今では、具合が悪ければ欠勤もするし、電車が遅延してたら潔くのんびり通勤するようにしています。
「絶対!行かなきゃ」という頑なさは、視野を狭くして自分を緊張させていたことに気が付きました。
周りに合わせていれば誰かのせいにできる
大多数に合わせていれば、何かあったとき皆と一緒だし、誰かのせいにできる。
その流れから逸脱して「自分で選択していく」ことは、誰のせいにもできなくなります。
「皆は行ってるけど行かない」「自分は休みたいから休む」って決断をできた人って単純にすごいと思うんです。
自分で決断してきた人の方が成功している?
私が出会った友人や知り合いには、学校に行くのをやめた人が多かったです。
その人たちに共通していたことは、自分の得意なことがしっかり育っていること。
自分で選択して行動に移してきた人と、自分の本心よりも大多数の意見を選択して行動してきた人では、自分との向き合い方に差があると思うんです。
あくまで個人的な見解なので、違う場合もあると思いますが…
時間は戻せないけれど、今からでも自分の行動一つ一つに「本心かどうか?」ってことを問いかけながら生きていきます。