【お腹いっぱい】無理やり食べるのをやめる【モッタイナイ】
- 食べ物を残すことに罪悪感を感じる
- 食べ物を残すと怒られた経験がある
- 食べ物を残さない人は偉い
- 好き嫌いする人はワガママ
私は、好き嫌いせず残さず食べることが良いこと・偉いと思っていました。
実際、好き嫌いせず完食すると親からも周りの人が「すごい」「偉い」と褒めてくれました。
自分が食べたいのなら問題ないのですが、本心は「食べたくない」「お腹一杯」なのに、周りから褒められるために自分に無理をさせるのは違うんじゃないかと気が付きました。
SDGsや環境に優しい行動が求められる中、賛否両論あると思いますが…
自分の本心に従って「無理して食べない」という選択をしてみた結果を皆さんにシェアします。
好き嫌いなく残さず食べることが偉い?
私が通っていた幼稚園は食べ物粗末にすることはご法度でした。
給食を残した子は、食べきるまでお昼休み無し。泣きながら教室の隅に取り残されます。
お昼休み終盤で先生が許してくれるのですが、幼い子供心に恐怖を植え付けられました。
幼稚園時代に『残すことは悪いこと』『出されたものは食べきる』という常識が私の中にすり込まれたのだと思います。
お店や給食の1人前は自分の適量ではない
考えてみれば当たり前ですが、飲食店や給食で出される1人前が自分の適量ではないですよね。
私の中では「食べ物を残さないことが偉い」ので、多くても食べきることが当たり前でした。残してしまったときは、罪悪感を感じていました。
自分にとっての適量の話は、Happyちゃんと愛ちゃんが動画で喋っていて衝撃を受けました。
どの動画だったのか忘れてしまったので、思い出したらリンクを貼っておきます。
好き嫌いを表現できる人は心の声に従える人
「食べ物を残さないことが偉い」の他にも、私の中では「好き嫌いなく食べることが偉い」という常識もありました。
お皿の隅に嫌いな食べ物を避ける人や「コレ嫌い!」と主張して食べない人。内心では、わがままな人だと思っていました。
でも、嫌いな食べ物を認めて食べない選択をする人は、自分の心の声にしっかり耳を傾けている人なのだと気が付きました。
私は好き嫌いをする人に対して「私は我慢してんだから、それくらい食べなよ!」とイライラしていました。今思うと、好き嫌いを表現できる人に嫉妬していたのだと思います。
子どもは心の声に素直
子育てをしていると、バランスを考えて作ったのに全然食べない…ということがよくあります。
でも、大人より先入観がない子どもこそ、心と体の声に素直に従っているのだと思います。
健康のために食べて欲しい気持ちはありますが、毎日元気に成長しているので「まぁいいか」と無理せず見守っています。
あと一口でも残す勇気
食べ物を残すことに対して罪悪感があって『モッタイナイ』『あと一口だし』って無理やり食べきることはありませんか?
私はたとえ一口でも、お腹一杯なら残すことにしました!
いつも食卓で「これ残しても後々困るよな~」と無理して食べようとする自分が出てくるのですが「もう食べない!」とスッパリ割り切るようにしてます。
食べないと決めると、妙にスッキリした気持ちになります。あと、腹八分目が心地よいことに気が付きました。
適量へシフトしていく
最近では、テレビで頻繁に大食い企画をやっています。それがその人の適量ならばいいのですが、苦しそうな顔を見る限り、そうではなさそう…。
自分にとって丁度良い量を食べる。当たり前のようで、意外と難しい。
本当はいらないのに、様々な「欲」に流されて食べていないでしょうか?
無理やり食べるのをやめる|まとめ
好き嫌いなく食べること、残さず食べることは世間一般では『良い』こととされています。
でも、よくよく考えたら幼い時にすり込まれたもの。
以前は、好き嫌いや食べ残す人にイライラしていましたが、今では「自分の好き嫌い・適量を知っているなんてすごい!」と感心するようになりました。
あなたも、本当に食べたいのか、食べたくないのか…自分の声をよく聞いてみてください!